平成30年10月16日「まちの足元に見つかるもの」

 

 まだ、緑鮮やかな街路樹。穂別の市街地を散策中、足元に注意すると・・・


  
 この時期、このようなものが・・・
じめんにおちてるみ  
  
         ・・・落ちています!
 


 サクランボ大の緑色の球体・・・。地域の方にはすっかりおなじみですが、これは、街路樹であるメタセコイアの松ぼっくり「球果:きゅうか」です。
 今年は台風や地震の影響(?)で、丸くならないうちからも落下しています。

 メタセコイアは1939年に、関西地方の第三紀層で化石が、植物学者三木茂氏により発見・命名され、1941年に学会発表。白亜紀後期から北半球に分布し、260万年前に絶滅したと思われていましたが、1945年中国、湖北省利川市の「水杉」が同種ということが判り、現在では「生きている化石」とも呼ばれています。

       こえだとみ
                 ※成長すると高さ20mほどの大木となりますが、球果は2cmほどの大きさです。

  むかわ町穂別のメタセコイアは、昭和63年から平成3年まで行われた「過疎地近代化モデル事業」の一環として歩道拡幅の際、化石=太古のイメージから街路樹として植樹がなされたものです。

      秋がいろ
                          (昨年11月上旬撮影)

 そして、秋が深まるにつれ赤、そして大変短い期間ですが、黄色へと変化していきます。
 私の調べたところでは、北海道内でメタセコイアが街路樹として利用されているのは、他の自治体には見当たりませんでした。

 四季を通じて楽しめる「進化の道」を歩いてみませんか?
  

  (by 恐竜協力隊員2号 佐藤)



 

 

 

 


 

平成30年10月1日「北海道胆振東部地震」ドキュメント(3)

 大きな震災の後、一番大変だと言われている当初2日間の避難所運営では、避難されました皆さまのご尽力とご協力で、重度の体調不良者を出すことなく、運営することが出来ました。
  3日目からは、支援物資や食材が各避難所に届き、自衛隊の炊き出しも始まり、電力・電話の復旧で、不安材料も大幅に減少しました。
 日が高くなると自宅に戻り、屋内外の後片付けをする人も多く、避難所から外出の際には余震等に対する注意喚起を行っていました。
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                   ※プリンターが使えず手書き。きれいに描けませんが、役に立つと言われました。


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                   ※自衛隊による夜間の飲料水給水作業


 5日目からは、北海道庁や全国の自治体職員の方々の応援など、派遣職員が配置され、避難所の運営もスムーズになりましたが、私の担当した穂別中学校避難所は、13日に穂別町民センターと統合し、閉所となりました。

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 避難所を利用された多くの避難者の皆さまから、たくさんの感謝・励ましのお言葉をいただき、避難者として共に生活し、学び多い1週間となりました。

 
 ○付記
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        ※避難所で使っていた小物など       ※コップには名前を書き、大切に使いました。

 ■今回避難所で役に立ったもの■
 サバイバルナイフ(段ボールやパックご飯の開封)、小さめのライト、寝袋・耳栓、養生テープ(名前を書くのに便利)、スリッパ(体育館は足音の反響が大きいため、周りへの配慮)など、これらをリュックに入れて壁につるしていました。
 
 また、タッパーやジップロックのような密閉容器があると便利です。食事配給で汁物の持ち帰りはもちろんのこと、食事の度に出る使い捨て食器・カップなどのゴミを減らす効果が期待されます!

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 ※震災ゴミについては「ふれあい公園」はすぐにいっぱいになり、穂別スポーツセンター駐車場横が第二集積場となりました。



(by 恐竜隊員2号 佐藤)